小さい頃の思い出

3歳から5歳までばあちゃん家で育ち、保育園に通っていました。主にその頃の思い出話です。昭和の情景を懐かしんで頂けたら嬉しいです。

ワッパリ

 保育園ではエンジ色のワッパリを着ていた。

前にポケットがあり、

長方形で3つに仕切られていた。

 

袖口はコペコペだった。

しょっちゅう鼻水を拭くので光っていた。

 

小学校の運動会で保育園児がダンスしたが

そのときのワッパリもコペコペだったのだろう。

 

頭の中で「コペコペ」という言葉は

そんな映像と結びついている。

コペコペと聞くとエンジ色のワッパリの袖口を思い出す。

山で採ってきてくれたもの

にいちゃん達が山で色々なものを採ってきてくれた。

 

カブトムシを採ってきてくれたが、大嫌いだった。

 

カブトムシで遊んだことがある人なら分かると思うが、

手に乗せてからはがそうとすると

爪を引っ掛けてはがされまいとする。

 

痛い。

子供にとっては恐怖だ。

 

たくさん採ってきてくれたが、逃げ回っていた。

 

 

キイチゴを採ってきてくれた。

ざるに入れて帰ってきて、いくつかもらって食べた。

 

薄味でさっぱりした印象が残っている。

 

送辞の反響

保育園の卒園式で送辞を述べた。

 

ばあちゃんが様子を見に来てくれていて、

近くの人がすごく褒めていたと後で聞いた。

それを何回も話す。

 

「なんとまあ、悲しそうで心がこもっていた」

とのことだ。

 

多人数前で話したことはなく、

また、緊張した空気でもある。

 

堂々と卒園生に向かって話すのではなく、

下向きで自分のズックを見ながら弱々しいトーンで話した。

 

それが卒園式の送辞にマッチし、高評価を得た。

 

名送辞として語り継がれることになった。

自然科学者

小学生の時だったと思う。

 

ばあちゃんとりんご山に行った帰りに

ばあちゃんが足元を見ながら言う。

 

「こうやって石が転がっていく。

必ず下にいく。

なのにどうしてまだ、山があるんやろうね。」

 

びっくりした。

こんなことを考えながら

毎日毎日りんご山を登っていたんだ。

 

給食のおばさん

保育園はおかずを作って出してくれた。

トマト風味のビーフシチュー?が出たことがあるが

変な味で好きにはなれなかった。

 

給食を作ってくれるおばさんがいた。

おばさんというよりおばあさんという印象。

 

時々厨房から出てきて何もしていないのに

やたら、

「やいとする」「やいとする」

と繰り返す。

 

やいと自体見たこともないのに嫌なことだろうと思い、

怖かった。嫌いだった。

絵本に出てくる怖いおばあさんと重なって見えた。

 

 

 

 

火鉢

青い色の火鉢があった。

 

練炭、白い灰、火箸、五徳(さっき調べた)などを思い出す。

多分、他に暖房器具なく、これで暖を取っていた。

手を暖めていた。

 

網金の上でお餅を焼く。

赤や緑の甘いかき餅が好き。

 

 

冬の夜、豆炭のあんかを使っていた。

 

小さい枕程度のあんかで上半分が開くようになっている。

ロックを外してパッカと開けると石綿かなにか白い物が詰まっており、

真ん中に直径数センチ程度の穴が開いている。

その穴に火が付いた豆炭を入れ、ふたを閉める。

 

一晩もったのだろうか?

 

自分には熱過ぎたのだと思う。

あまりよいイメージはない。